アメリカのトランプ大統領が、トランスジェンダーの女子競技参加を禁止する大統領令に署名したことが話題になっています。
賛否分かれるところなのでしょうが、私としては「賛成」と考えています。
私は、人間に唯一与えられた違いは性だと考えています。
たとえば、男性は子供を産むことができませんし、女性は男性がいないと妊娠することができません。
この壁だけはどうやっても崩せません。
差別は絶対にいけませんが、適切な区別は必要だと考えています。
性的マイノリティを否定する気はまったくありませんし、身体は男だけど心は女だから、女性選手として認めて欲しいという気持ちはわかります。
しかし、スポーツはその身体能力を競いあう場。
男性の身体を持って生まれてきた限りは、血清中のテストステロン値などの条件を満たしたとしても、女性の身体を持って生まれてきた選手から見れば、不公平に感じられるでしょう。
また、女子競技で好成績を残しても、「トランスジェンダーだから」というレッテルがつきまといます。
トランスジェンダーは性的マイノリティの1つとされています。
性的マイノリティは性的少数者とも書かれますので、全人口におけるトランスジェンダーの方の割合は低いと考えられます。
当然、競技人口におけるトランスジェンダーの方の割合も低いはずですが、実際の競技結果を見ると、好成績を挙げているトランスジェンダーの方が目立ちます。
もし、条件がイコールなのであれば、好成績を挙げるトランスジェンダーの方の割合は、その競技の競技人口におけるトランスジェンダーの方の割合と同程度になるはずなので、今のシステムは改善の必要があると考えられます。
では、トランスジェンダーの方たちが競技に参加してはいけないのかというとそうではなく、たとえばパラ競技が受け皿になれば良いのではないかと思っています。
トランスジェンダー同士で競いあえば、誰も文句は言わないでしょうし、堂々と成績を誇れるのではないでしょうか。
トランスジェンダー同士で競いあう場を設けるというのは、差別ではなく、トランスジェンダーを社会に受け入れるという行為の1つだと考えます。
トランスジェンダーの方たちの受け皿としてパラ競技を、と聞いて、性的マイノリティは障がい者か!と思った方、障がい者を差別したり見下したりしていません?
パラ競技というと、障がい者スポーツというイメージですが、障がいだって1つの特徴だと思います。
その特徴を持った人が多いか少ないか、日常生活に支障があるかないかといったことで、障がい者になったり健常者になったりします。
では、健常者や障がい者ってなんなのでしょう?
たとえば、私は両目とも視力が0.1以下ですが、矯正すれば日常生活に支障がない程度まで改善できるため、障がい者ではありません。
さらに視力が落ちていって、矯正しても日常生活に支障が出るようになると障がい者になるのですが、その基準は障がいの程度を決めるために定められたものであって、障がい者と健常者の間に引かれた線の直前直後にいる人たちに、大きな差があるかというと、そうではありません。
社会の仕組み上、基準が設けられていますが、本来、どこまでが健常者で、どこからが障がい者なのかという線引きは、ずいぶん曖昧なものなんです。
私は公的に区分された障がいを持った1人ですが、障害者手帳を持ったからといって、何かが変わったわけではありません。
自分にできないこと、代わりに何ならできるのかといったことを説明しやすくなった程度でしょうか。
障がい者や性的マイノリティを社会的に平等に扱うというのであれば、パラスポーツに組み込まれることを引け目に感じる必要はないと思います。
ただ、今回の問題はその順序が逆になってしまっており、本来、トランスジェンダーの方たちが正々堂々と競いあえる場を設け、その後、女子競技への参加を禁止するというのが正しい進め方だと思います。
今回の問題と直接の関係はありませんが、男子走り幅跳びのパラアスリートの世界記録は、ドイツのマルクス・レーム選手の8m72cmで、昨年のパリオリンピックの優勝記録(ギリシャのミルティアディス・ テントグル選手の8m48cm)を上回っています。
マルクス・レーム選手は、オリンピックへの出場を希望しましたが、義足に使われているカーボンの反発力が、健常者の脚よりも優位性があるとされ、認められていません。
マルクス・レーム選手は、陸上界において最も健常者の記録に近い人間と言われていますが、仮に健常者の世界記録(8m95cm)を超えたとしても、パラ陸上における世界記録としてしか認められないでしょう。
今回の件は大変難しい問題で、様々な意見があると思いますが、あえて私見を述べさせていただきました。
コメント